TOMAでは100年企業創りをビジョンに掲げていますが、先日「なんで100年企業なのでしょうか? 50年企業や200年企業でないのは何故でしょうか?」と質問され、思わず答えに詰まってしまうということがありました。
確かに、これまで深く考えたことはありませんでしたが、100年という数字にどのような意味を見出すかにより、100年企業という言葉の持つ意味は変わってくるように思います。今回は、100年企業を目指すこと、100年先の未来を描くことの意味について、私なりに考えたことをお伝えします。
100年という数字の持つ意味
100年という数字が用いられる言葉でまず私が思い出すのは、「100年に1人の逸材」「ここで会ったが百年目」といったものです。「100年に1人」というと、長期間に1人しか現れないような偉大な人物であることを意味するし、「百年目」というと、長年捜していた相手に対し、これが運の尽きだと思えという意味です。
いずれの場合も100年とは、単なる物理的な時間の長さを指している訳ではありません。長期間に一度しか起こらない特別なことであり、人の寿命の限界という意味から終わりという意味が込められているのです。
このように考えると、「100年企業」という言葉も単に100年続くということだけでない特別な意味を持っているはずです。
それは「人が一生をかけて創る最高の会社」ということではないでしょうか。
私たちが、目の前の売上や利益、起こっている問題に捉われることなく、最高と思える会社を自由に想像するとしたら、それはどんな会社でしょうか。そしてその会社は世の中にとってどのような存在となっているでしょうか。
100年という単位で自社の未来を真剣に考えるということは、単なる時間の長さという尺度を超えて自分の理想を膨らませ、それにより自分の使命への気づきをもたらすことになるのではないでしょうか。
百年先が見えた男
江上剛(著)『百年先が見えた男』(PHP文芸文庫)というノンフィクション小説を読みました。倉敷絹織(現クラレ)の社長として初の国産合成繊維であるビニロンの開発を成功させ、まだ国交が回復していなかった中国に対してビニロン製造プラントの輸出を行った大原總一郎の物語です。
100年先が見えるというのはどういうことかと手に取った小説でしたが、大原總一郎という経営者の理想を追い求める信念に触れることで、100年企業を目指す私たちが学ぶことは沢山あると感じました。
国産初の合成繊維ビニロンの開発、しかもその原料であるポバールから製造することへの拘りは、技術革新こそが敗戦後の日本の新しい未来を拓くという強い意志の表れでした。また、アメリカや台湾の反対にあいながらも国交回復前の中国に対するプラント輸出を実現させたことは、中国を日本が侵略したことに対する償いと、現地で戦死した日本の若者の慰霊のためでした。
国産の技術を高めることが日本を復興させると信じていたし、その技術が日本だけでなく中国の人々をも救うと信じていたのです。
「百年先が見える目を持った経営者」というのは、クラレ元社長の伊藤文大が大原總一郎を指して言った言葉ですが、目先の利益でなく理想を追求したからこそ今日のクラレがあると思っての言葉です。
「自分自身の利益ではなく将来性のより大きい、より多くの人々のための利益を追求するのも、経営者としてのやるべきことだと思っている」という總一郎の言葉から、私たち経営者は社会的責任を果たす義務があるということを認識し、自分の理想に磨きをかけ続けないといけないと感じました。
100年企業を目指すということは、単に創業100年目を迎えるということでなく、これからの100年に向けて自社が世の中に対しどんな貢献を果たせるかという理想の追求なのです。
それは決して経営者の「欲望」ではなく、ある意味「飢え」とも表現できるような精神的な充足への情熱から生まれてくるものではないでしょうか。
私たちは、そんな自分の中にある使命感に気づくためにも、100年企業を目指すべきだと思うのです。
TOMAコンサルタンツグループ株式会社
代表取締役社長
市原 和洋
代表メッセージはこちら
<チェックポイント>
□100年には、単なる物理的な時間の長さ以上の意味がある
□最高と思える会社、またその会社が世の中にとってどんな存在か想像してみる
□社会的責任を果たす義務があることを認識し、自分の理想に磨きをかけ続ける